南海道大地震調査概報・・・
南海道地震の記録 資料編
南海道大地震調査概報(中央気象台)より抜粋
串本町 P30~32
(串本袋)
袋に至る迄の串本の西側は、海沿いに土手があり、高くなっているので浸水はない。少し先の崖下の所は浸水している。約4米の高さまで浸水の跡がある。第10図の0の附近には流失物が山積みしていた。×は検潮所であるが、井戸を残して上部の建物は△の所の海中に数箇にわれて転落している。この建物は石をセメントでかためて造ったものである。袋の建物は全部流失して、家の土台のみが残っている。
津波は矢印の如く来襲したと考えられる。波高は5米前後である。袋の部落の南側に造船所があり、そこにあった50トン~100トン位の船が2艘、○印の付近に打ち上げられている。検潮所の建物はこの船が流れる時、衝突して破壊されたのか、津波のみによるのかは不明であるが、船の横側にはそれと思われる跡は見当たらなかった。
(橋杭部落)
3 津 波
第一波は地震後約20分で来襲し、最大なるものは第三波で、地震後約60分近くたっていた。初動に於て引きはなかった模様である。高さは水面より約2.5米とみられる。恐らく所謂橋杭岩のために津波が高まったものと思われる。鉄道との間の家は、特に高所のものを除いて全部浸水している。
(浦 神)
浦神湾奥の桟橋は全壊した。
(古 座)
津波は古座川を上った為、其の流域は相当上流迄潮害を受けた。古座川口附近の潮高は約3米で、古座川橋は全壊した。これは流木によるものと思われる。一里程上流迄津波が上がったという事で、第二波が最大であった由、古座漁業組合での話に依ると、地震と同時に西方に異様な光を見又古座川口の左岸は昭和19年12月の地震で一旦沈下したものが、今度隆起したようだと言う。