樫野埼灯台とイギリス人技師の物語
明治のはじめ、遠くイギリスから来た技師が植えた水仙のものがたり
日本最古の石造り灯台「樫野埼灯台」
日本の灯台の基礎を築いたのは、遠くイギリスから訪れた技師
大島の東端、樫野の断崖に日本最古の石造り灯台である樫野埼灯台が今も活躍しています。現在は自動点灯の無人灯台で内部は非公開となっていますが、併設されているらせん階段から灯台に登ると、遠くは太地町の梶取崎まで見通すことができます。
樫野埼灯台とそのすぐそばにある旧官舎は、イギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により、明治3年(1870年)に建設されました。
樫野埼灯台は、ブラントンが来日して最初に設計した日本初の石造灯台であり、また、日本初の回転式閃光灯台でもあります。まさに現在の灯台のルーツとなるのが、この樫野埼灯台です。
ブラントンは、明治元年(1868年)に来日し帰英するまでの7年6ヶ月の間に、日本各地の灯台やその付属施設の建設を多く手がけ、「日本の灯台の父」と称えられています。
灯台は昭和29年に大規模な改築が実施されましたが、官舎は当初の形態を比較的よく残しており、国登録有形文化財にも指定されています。
故郷を想って植えたスイセン
遠い故郷を想って植えたスイセンを、大島の人たちが守り続ける
ブラントンは26歳のとき、英国政府から明治政府に派遣され、妻子と助手を伴って来日しました。
遠く離れた異国で、それも外国人居留地でもない辺境。異国での孤独な生活を癒やすため、母国からスイセンの苗を取り寄せて灯台周辺に植えたとされています。
ブラントンは樫野埼灯台を皮切りに、滞在中の8年間で、全国の26か所の灯台を建設しました。
樫野埼灯台完成後は串本を離れたのですが、遠い故郷を想って植えた水仙を受け継ぎ、地元の人々により10万本以上の水仙が植えられました。
冬には可憐な花が咲き乱れ、あたりは甘い香りに包まれます。