串本と大島を結んだ巡航船と串本節
大島の金山展望台より。左奥が大島港、対岸が串本港。巡航船とフェリーで結ばれていました。
串本節と巡航船
♪ ここは串本 向かいは大島 仲をとりもつ巡航船・・♪
民謡「串本節」で歌われた巡航船ですが、1999年(平成11年)の大島架橋開通とともにその役目を終え、今はありません。
巡航船は大正時代初期から始まり、1972年(昭和47年)からはフェリーも並行して運行されていました。
地元民の足としてのほか、1977年には大島にリゾートホテルが開業するなど、串本節も観光PRとしても良く使われました。
和歌山県唯一の集落のある島
大島は和歌山県で唯一集落がある島で、人口は1000人以上。
漁業のほか、鯨漁も盛んでした。串本本土とは1~2km離れています。かつては大島の内側は古くから船の避難・風待ち港として栄えました。現在と違い動力が無かった時代、大阪と江戸とを行き来する廻船(貨物船)の停泊港としても栄えました。
潮岬・大島付近が要所だったことは、明治政府が洋式灯台を建設した全国の13ヶ所のうち2つが、潮岬と樫野崎だったことからもわかります。
島民悲願の橋
弘法大師にまつわる伝承が残るほど、島民悲願の橋。
そして島民の心に刻まれた巡航船は、長い歴史の幕を閉じる。
大島に橋をかけることは、大島島民の長年の悲願でした。
「橋杭岩」には、弘法大師が一夜で大島に橋を架けようとしたが天の邪鬼に騙されて完成できなかったという伝承が残っているほど、昔から橋を心待ちにしていました。
そして1999年9月8日、ついに美しいループとアーチをもつ「くしもと大橋」が開通しました。
橋の開通とともに、串本節に歌われた「仲をとりもつ巡航船」はフェリーとともに幕を閉じました。
通学・通勤の日常に、そして島外への進学・就職などで島を出るとき、そして島への帰省。
橋がつながって便利になっても、島民の心には巡航船の姿が刻まれています。
樫野崎や海金剛など見どころが便利に
くしもと大橋の開通によって、大島が便利になりました。島内の道路も、橋から一番遠い樫野崎・トルコ記念館まで整備されました。串本町を訪れた際は、ぜひ訪ねてみてください。