「樫野埼灯台およびエルトゥールル号遭難事件遺跡」が国指定史跡に向けて答申されました

 国の文化審議会は、令和2年11月20日(金)に開催された同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、当町の「樫野埼灯台及びエルトゥールル号遭難事件遺跡」を新たに国の史跡に指定するよう文部科学大臣に答申しました。
 答申後は、官報告示をもって正式に国史跡として指定される予定です。

国指定史跡とは

 国指定史跡とは、集落跡・古墳・城跡などの遺跡で特に歴史的・学術的に価値が高いものと国が認めたものをいいます。国指定史跡となった遺跡は、今後将来にわたって守るべき大切な遺跡として文化財保護法に基づいて保存していくことが必要となり、現状の変更を行うためには国の許可が必要となります。

樫野埼灯台及びエルトゥールル号遭難事件遺跡とは

 オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号の海難事故とその後の行政・国際交流・慰霊・防災の歴史を示す遺跡です。
 近代最初期の灯台として良好に保存されている「樫野埼灯台」、同号が衝突した「船甲羅」、生存者が泳ぎ着いたと伝えられる「遭難者上陸地」、犠牲者を葬った「遭難者墓地」からなります。
 近代における大規模かつ国際的な海難とその後の防災意識や日本とトルコとの国際交流・慰霊の歴史を明らかにする貴重な遺跡です。

樫野埼灯台・灯台旧官舎

樫野埼灯台

 樫野埼灯台はイギリス人技師R・H・ブラントンにより建設され明治3年に初点灯した日本最初期の石造灯台です。
 座礁したエルトゥールル号の生存者は灯台官舎の扉を叩き、灯台職員に助けを求めました。

船甲羅

船甲羅

 明治23年9月16日深夜、オスマン帝国のフリゲート・エルトゥールル号が、横浜から神戸へ向かう途中に台風の暴風雨に巻き込まれ、樫野崎の突端から200~300m南西、海岸から100m沖合にある船甲羅に衝突しました。

遭難者上陸地

遭難者上陸地

 エルトゥールル号の座礁によって海に投げ出された乗組員は樫野崎の海岸に流れ着き、灯台の灯火を頼りに崖をよじ登ったと伝わっています。

遭難者墓地

遭難者墓地

事故後、地域の住民の協力により遺体や遺品の回収が行われ、犠牲者は「船甲羅」と「樫野埼灯台」の中間地点に位置するこの場所に葬られました。130年が経つ現在も、5年ごとに慰霊祭が執り行われています。

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