第五福龍丸建造の地
1954年(昭和29年)3月、ビキニ環礁付近の公海上でアメリカの水爆実験により「死の灰」を浴びた「第五福龍丸」は串本町(旧古座町)で建造されました。平成11年4月に平和を願い町内に記念碑が建立されました。この記念碑は和歌山県海南市の杉末廣氏が寄贈して下さったものです。
第5福龍丸(第七事代丸)の沿革
1947年4月
古座の中州にあった古座造船所で建造され、カツオ漁船第七事代丸 として進水。
1953年5月
マグロ漁船に改造され 第五福龍丸 と改名。(母港 静岡県焼津市)
1954年3月
3月1日ビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で被災。「死の灰」を浴び、23人の乗組員が急性放射能症となる。9月23日無線長の久保山愛吉氏が死去。マグロの放射能汚染により国民の生活に深刻な影響を及ぼし、原水爆禁止の国民的な運動がおこる。
1956年5月
東京水産大学の練習船となり はやぶさ丸 と改名。
1966年10月
廃船処分となり、東京の「夢の島」に廃棄(エンジンは第三千代川丸に搭載)。
1968年4月
第五福龍丸の保存運動がはじまる。
1968年7月
第三千代川丸が三重県御浜町沖の熊野灘で沈没。
1970年2月
はやぶさ丸 を 第五福龍丸 に復名。
1976年6月
都立第五福龍丸展示館が落成、保存展示される。
1996年12月
熊野灘に沈んでいたエンジンが28年ぶりに引き揚げられる。
1998年3月
エンジンと船の再会を願って、エンジンは東京都へ寄贈した。
- 古座造船所は中洲にあった
- 中洲の地図
- 第七事代丸建造《古座造船所》