線路でひろったきびなご

線路で拾ったきびなご

串高教諭 野田 信代

ぐらぐらと家がゆれ出したので眼がさめた。

2学期末考査も終り、成績伝票が出され一覧表を作るため眠ったのが1時頃だった。

びっくりして蒲団をかぶり待ったが、仲々ゆれは止みそうにもない。電燈は大きく揺れて消えてしまった。家全体がぎしぎしときしむ、今にも倒れそうな気配がして、蒲団から顔を出したら、鴨居が横に50糎位も揺れていた。また慌てて蒲団にもぐり息をつめていた。

しばらくたって揺れが少し止まったと思ったら、外で人声がしている。おもむろに起き出そうと思うと、津波がくるぞうと言う声が聞える。震える足を踏みしめて近くの西の岡に向かう。誰の顔も見えない程の暗い中に人々がうごめいている。小学校の校庭を横切り、コンクリートでかためた斜面を這うように登る。皆無言で、早く早くと滑りながらも必死である。少し遠廻りしたら登り易い道があって、その方が早いかも知れないのに、その廻り道がまどろかしい程追い立てられるような気持ちだった。

ようよう山道の傍らに腰を下す。暗黒が、また先刻の異常な体験がそうさせるのか、皆黙りこくっている。今すぐでも来るように思った波はまだよこせていない。

どのくらい過ぎただろうか。津波の不安さの中にあっても僅かずつ闇のうすれてゆくのが心を開いて、小声で先刻の恐ろしさを話し合えるようになった。思い出したように東の海の方を見るが波は見えず、家々の甍は何の変わりもなく静まっている。明るくなると人々の話声も大きくなり、大丈夫だろうと山を下りる人々も出て来た。

人々について私達も下りた。今度は廻り道をして山道を家に帰った。陽の登るのには未だ早く、変りのない家のたたずまいは常の如く静かだった。

我が家の被害は、たおれた硝子戸2枚を慌てて踏み割っただけだった。

森嘉さんの水を揚げていたタンクが壊れて、水が道に流れた。東海岸の方から避難してきた人が上浦の潮がここまできているといったとか、後で聞いた話である。

汽車は勿論通らないので、兎も角勤務先の古座高女まで歩いていった。被害状況は分からないけれど、海岸の道は通れないかも知れないと言うので、鉄道線路を歩くことにする。

線路に木材がかかっていたり、土砂が流れて崩れていたり大時化のあとのようだった。今の串本ドライブインあたりの線路は曲りくねっている。その線路の枕木の間に小魚が流れついていて、拾い出したら面白いように拾えた。疲れも忘れてそのきびなごを拾いながら歩いた。700瓦位あっただろうか。その魚は古座で誰かにやってきた記憶がある。

早朝だったら大きな魚を拾ったとか、船が線路にひっかかっていたとか、庭に魚が飛び込んだとかの話も聞いた。

矢の熊や橋杭は津波の被害もあったようだ。帰りも線路を通ったが、魚はもう拾えなかった。

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