浮き始めた伝馬船

浮き始めた伝馬船

串高教諭 二河田 浩

昭和21年12月21日早朝、突然強烈な衝撃を受け私は深い眠りを覚まされた。朦朧とした意識下であったが、獣の咆哮のごとき地鳴り、みしみしと揺れ動く家屋により、大地震ということはすぐ察知できた。傍らに寝ていた祖母が、何やら祈りの言葉を一生懸命唱えている。私はふとんから抜け出そうとしたが、どうしても起き上がれず、もがくばかりであった。震動がやや下火になったとき、階下の父が救助に来てくれたが、実は私と祖母は、一間ほどの大箪笥の下敷きになっていたのである。(その後、私の家の寝室の箪笥は、全部紐で柱に固定することにした)とにかく広い場所に避難しようということで、海に近かった私達周辺の人々は、海岸の県道に出た。(現在の国道で、当時は舗装も堤防もなく、そのまま浜に接していた)しばらくはお互い興奮からさめやらず、地震の恐怖を話し合っていたが、ふと見ると、海岸に引き上げていた伝馬船が、押し寄せてくる波のため、次々と浮かび始めた。「津波だ」という誰かの叫びとともに、一同は山手の方に向かって逃げ始めた。夢中でお寺の境内にたどり着いたときには、すでに大勢の人々が、毛布などを持って避難しており、不安な雰囲気が満ちていた。夜明けがきた、余震の続く中、私は父と家の様子を見に行ったが、家屋の方はさしたる被害もなく、ほっとしたことを覚えている。

夜がすっかり明け、余震や津波の懸念も消えた頃、人々はやっと生気をとり戻し、漁夫は船の始末をはじめ、浸水した家々では家具の整理をし、互いの被害を確かめあった。田並では、一人の少女が津波で満水になっていた溝に落ちこんで生命を失った。家が河口に近く、浸水の速度が非常に速かったということを、後日聞かされた。小高い船揚げ場には海水が満ち、魚が泳いでいた。袋地区は津波で全滅した、といううわさも伝わってきた。何もかもが、一瞬の悪夢の残滓のように異様に感じられた。

戦後一年余り、村には復員兵があふれ、すべての生活物資が欠乏し、働くあてもない暗い生活に、追い打ちをかけられたような大天災であった、と記憶している。

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